97.文章


文章の書き方をどうやって勉強していますか? なかなか思うとおりに文章を書くことができません。私は、本を読むこと、いい文章を分析してみること、実際にどんどん自分で書いて練習することの3つで力をつけようとしています。結論をしっかり押さえて、分かりやすく、リズム(調子)の整った、それでいて読み手のことを良く考えた文章を書きたいと、いつも思っています。

 

[参考]天声人語(08-10-26)より

負け惜しみに類するのだろうか、川柳だか俗言だかに「賞味するほど初物に味はなし」とある。走りの食べ物は値段は張るけれど、まだ本当の味には遠いという意味だ。とはいえ、やはり初ものはありがたく「食べれば75日寿命が延びる」などと尊ばれた。

「ご隠居の初物ごとにいとま乞」と、これは江戸の川柳にある。折々の初ものを食べるたびに「ああ、これでもう思い残すことはない」と、この世に「いとまごい」をする。拝むような姿が浮かんで、おかしみが湧く。

そんな季節感が食卓から薄れて久しいが、秋の実りは格別だ。出始めの「走り」から、たけなわの「旬」、終わりが近づけば「名残」へと、順次繰り出す多彩な恵みに舌も胃袋も忙しい。この秋は、果物がなかなかの豊作だと聞いた。

「秋になると/果物はなにもかも忘れてしまって/うつとりと実ってゆくらしい。」これで全文の「果物」という詩は、今日が命日の八木重吉が残した。秋という季節を美しくうたい上げた夭折の詩人である。

うっとりと夢見つつ熟れていく果物を、もいで食べる。清らかな詩を知ったあとは、当たり前の営みさえ何か罪の匂いがする。ありがたさを忘れたら罰が当たりそうだ。詩句に導かれて、人は生かされているという思いに突き当たる。

重吉の秋の名詩をもうひとつ。「この明るさのなかへ/ひとつの素朴な琴をおけば/秋の美しさに耐えかね、琴は静かに鳴りだすだろう。」(素朴な琴)季節をめぐらす天地自然への深い畏敬が、澄んだ言葉にこもっている。

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短い文章の中に、秋の素晴らしさと感謝を見事に表現しています。川柳とか、名詩をちりばめながら、読み手の目の前に情景が浮かぶような丁寧さで説明しています。それでいて、余分なところがまったくないし、句読点を上手に使いながら、文章のリズムをキープしているところなど、非常に参考になります。

 

「秋の素晴らしさに感謝しなさい」と、ストレートにそのまま文にしたのでは、なんの変哲もなく、読み手の心には何にも残らないですが、いろんな比喩を使ったり、名句を使ったり、自分が持っている知識をすべてを使って、その上で、自分の言いたいことを上手にはめ込んで、読み手がどう理解するだろうかと細かく気を配りながら文章化する、非常に参考になります。