87.元西武ライオンズ 石毛宏典氏の話(その1)


四国リーグを創設し、来春には関西リーグを立ち上げる元西武ライオンズの石毛宏典氏が話をしていました。なかなか面白い話でしたので紹介します。

 

清原の話。非常に感受性の強い子である。日本シリーズで巨人を破ったときに清原は泣いた。男は泣いてはいけない。入団の時に巨人に裏切られ、18~19歳で、想像もつかないほどの誹謗中傷を受けたであろうが、FAの権利が得られたら、その巨人にしっぽを振って入団した。ところが、そこで堀内監督との確執があり、一選手の分際でありながら、球団に堀内をとるか清原をとるかを迫った。要するにやることが子供である。そして、更にうまくなろうとして肉体改造に走ったが、これが裏目に出た。故障し易い身体になってしまった。成績が残せず巨人を追い出されたが、仰木さんが救った。その救ってもらったオリックスで2年間も殆ど試合にでないで何億円もの給料をもらった。その上にあの引退セレモニーである。清原がもし、次のユニフォームをきるときは、西武でも巨人でもない。オリックスのユニフォームにまず袖を通さなければ人間性が疑われる。

 

一方、今季限りで引退を決めた王さんはすばらしかった。ダイエーの監督になられ、どんなに戦力が低くても「目標は優勝」と徹底して目標を変えなかった。最初の3年間は、最下位、5位、4位だった。普通の監督ならここで首になる。ところが王さんは違った。続投が決まった次の年も、また優勝が目標と言った。これに最初に応えたのが小久保選手だった。目の色が変わった。その次が松永。そして城島。ベテラン、中堅、若手の柱ができた。これで一気にダイエーが変わった。王さんは本当の大人。何を言われても我慢した。リーダは絶対にブレてはいけない。

 

西武は常勝チームと言われた。その要因は、投打、打順、年齢のバランスがとれていたことであると思っている。これを作ったのは根本さんと広岡監督。名将、知将と言われる人は多いけど、広岡監督こそ本当の知將だ。レギュラーは絶対に休んではいけない。野球選手は肉を食わないで魚を食え、と言って故障しない体作りを行った。野球技術も自ら直接教えた。それに卓越した戦術を考えた。これが西武に根付いて西武のチームカラーになった。強烈な縦社会であった。チームは平等・並列ではない。チームは縦社会。縦社会があってはじめて持ち場立場が明確になり、仲良しクラブではないチームワークが存在する。

 

チームの中のコミュニケーションが悪いのは「気遣いが足らない」ということ。時間がないとか、顔を合わせる機会がないということではない。チームにはリーダが必要。昔はガチンコ勝負で勝ち残ったものがリーダになった。今は調整が上手な者がリーダになっている。もう一度ガチンコ勝負にもどるが、これからはひとりのリーダではなく、勝ち残ったチームがリーダになる時代になる。

 

石毛はチームリーダと言われた。でも自分ではそう思っていなかった。石毛個人として勝ち残るのに必死だった。自分は「焼酎」だと思っているのに、お前は「ウィスキー」だと言われているような感じだった。ある日根本さんに、他人の評価が違う、自分の世界に集中したいと話したら、「その他人の評価の中で生きるのは窮屈だけれども、そこで生きるのが大人だ。ユニフォームだけでなく背広の似合う野球人になれ」と言われた。