30.エピローグ


私は、入社して最初に技術管理課に配属された。電子部品の標準化を担当した。トランジスタやダイオード、ICなどの半導体とコンデンサが担当であった。このとき部品全般の知識が身に付いた。製品設計に比べれば、地味な仕事である。だが、この仕事を担当したことで、部品メーカーの苦労、部品メーカーのビジネススタイルが理解できた。
 
そして、その次の仕事はプリント基板。設計基準の設定を担当した。プリント基板の世界基準はMIL規格。その前段階として米国のプリント基板業界基準としてIPC規格がある。日本のJIS規格はすべてこれらの規格がベースとなっている。国際標準ができあがっていくしくみが理解できた。
 
この頃、スタートしたのが、DA(デザイン・オートメーション)。プリント基板をコンピュータで自動設計しようとする試みである。部品の自動配置。部品間の自動配線。部品の配置は、部品間の信号の結合度を計算して、配置を入れ替えなら評価関数が最大になるように入れ替える。大きさの違う部品の相互入れ替えが難しかった。自動配線は、連続してつながる部品間接続をループにならないように一筆書きに分解し、ピンとピンの間をメッシュ化して配線ルートを決定した。また、多くの設計データを登録管理する設計情報マネージメントシステムも開発した。このときFORTRANやCOBOLを覚えた。S/W開発の難しさを理解した。S/W開発の管理ポイントも把握できた。
 
ちょうど、その頃、電子化ブームが起こった。重電も機器も車載も一気に電子化が始まった。とにかくプリント基板が要る。F社がプリント基板専門工場を作った。To社も専門工場を作った。D社は、H社・To社が動くと弱い。すぐにD社にもプリント基板専門工場を作れと指示が下った。プリント基板に関連した仕事をしていたこともあって、当時の設立プロジェクトに参画した。工場設立の手順、設備導入のやり方、組織の作り方、ルールの作り方、技術者の採用の仕方などを学んだ。
 
そして、その3年後、自部門の中をみると、プリント基板の組立作業はすべて外注化され、設計も各部門でバラバラに担当されており、このままでは、電子回路の実装に関する高度化に必ず問題が起こると予想された。プリント基板の設計と組立、検査を行う基板課の設立に参画した。設計部門には徹底的にCADを導入した。DA(デザインオートメーション)のプログラムを開発していたときの経験が活きた。組立部門には、抵抗やコンデンサの自動挿入機と、世界初のIC自動挿入機を導入した。プリント基板検査にもインサーキットテスタを導入した。現在、携帯電話の高密度実装技術やチップ実装ラインを担当している部門は、すべて、このとき編成した部門が継承し発展して担当している。
 
次は、LSI。プリント基板の上にICや抵抗、コンデンサを搭載して電子回路を作る時代から、直接、シリコンの上に電子回路を作る時代が来る。実は、D社のCMOSゲートアレイの開発は、携帯電話、当時の自動車電話が深く係わっている。N社向け大容量方式自動車電話の参入のためには、制御回路の小型化が必須で、どうしてもLSI化が必要であった。確か3μルール時代である。まだまだシステムオンチップとはいかず、数品種のLSIを作る必要があった。少量多品種のLSIをできるだけ安価に作るためにゲートアレイという方式が取られた。
 
私は、この段階では、まだLSI設計には参画していない。プリント基板関連の業務では全社委員会や分科会で主導的に動き回っており、それなりに自信をもって仕事をしていた。当時の所長は、折角、完成したゲートアレイ方式を水平展開すべきだと考えた。逃げ回っていたが、結局、私が担当することになった。3人でスタートした。電子回路設計など担当したことはない人間ばかりであった。プリント基板で培ったCADには自信がある。LSI設計にはシミュレーションが不可欠である。電子回路はICの中をライブラリ化することから始めた。論理式の勉強からスタートした。本当に基礎の基礎からのスタートである。コンピュータ処理はお手の物であった。全体回路は技術部門が担当し、ICライブラリとシミュレーションは我々の担当。そこから始まった。
 
ところが、実力は、実務を担当した者に蓄積される。どんどん設計ノウハウが貯まった。人員も増強した。アナログLSIの設計も始めた。最初は技術部門が設計していた全体回路も、徐々に共同で、そして、いつの間にか、仕様だけ受託して我々の部門で設計するようになっていた。年間で50品種を超えた。設計受託は社内請負の形にした。最初にいくらいくらと費用を決めて、開発を失敗しても追加費用をもらわないことにした。完全な請負である。これを称して、「濱村商店」とか「濱村商会」とかあだ名がついた。D社には歴とした半導体事業部門がある。しかしながら、通信用のLSIは小難しいことをいう割には数が少ない。半導体事業部門にとってはそれほど魅力のある仕事ではない。結果的に、このLSI設計部門は通信事業にとって欠くべからざる部門となった。
 
そして、携帯電話の開発と事業。考えてみると、入社以来担当してきたすべての事業が今に繋がっている。どれひとつとして無駄なものはない。上司に恵まれた。先輩に恵まれた。同僚に恵まれた。若い人たちに恵まれた。ベンダーなど他社の人たちにも恵まれた。不思議なことに、すべてが有機的に繋がっている。これらは、1日1日を大事せよと言っている。そのときどきに面白くないことがあっても、必ずどこかで役立つことを意味している。
 
学びたい人に言いたい。高度大型開発技術者とはなにか。なにも難しい定義は要らない。常に夢を持ち、日々を無駄なく確実に仕事を進める、そんな技術者が求められる。世の中は、ますます教科書のない時代になった。上司のいうことが必ずしも正しいとは言えない。先輩のいうことももちろんである。自らがプランを作り、自らが誠実に実行し、そして確実に結果を出す。会社も組織も、そのために使わせて頂く。責任は自分が持つしかない。ただそれだけのことである。ピラミッド型の組織の時代は終わった。部下と上司という構図では、いちいち上司の判断を仰がないと行動できない。これでは、世の中のスピードにはついていけない。これからの組織はネットワーク型がいい。最小単位のチームが責任をもち、そのチームがプランし、実行し、結果をだす。そのチーム自身が推進力をもつ。多くのチームが同時に推進する。その方向は、情報のやりとりで決まる。多くの情報のやりとりの中で、自らが推進すべきベクトルを決める。もはや上司の判断を仰ぐ必要は最小限でよい。皆さんこそ、そのチームの核であるべきなのだ。