158.日本はなぜ敗れるのか-敗因21カ条-(山本七平著)(1)
この本は、太平洋戦争の敗因を総括することで、日本人がもっている根本的な性質を浮き上がらせている。組織を編成する場合や、日々のマネージメントにおいて、常に意識していないといけない事柄として理解したい。
目撃者の記録
何が事実か。目撃者の記録は事実か。唯一、その場その時に見聞したままを記述したもののみが事実に近い。目撃者がその場を離れ後で記述したものであっても、何らかの恣意が働く。小松真一著の「虜人日記」は前者のものであり、太平洋戦争の記述としては真実性がもっとも高いと言える。
バシー海峡
バシー海峡とはフィリピンのルソン島と台湾の間の海をいう。太平洋戦争ではミッドウェーやレイテ、インパールや沖縄が激戦地として有名であるが、実はこのフィリピン北端のバシー海峡では戦いもせずに運搬船に乗ったまま死んだ日本軍兵士が数え切れない。日本人には一方法を一方向へ拡大しつつ、あらゆる犠牲を無視して極限まで繰り返す性質がある。
実数と員数
実数とは真実の数。員数とはあるはずの数、虚数。戦地に送り込んだはずの兵士は員数。実際にその場で戦うことのできる兵士の数が実数。建前の数が員数。日本軍では、「ない」ことはないと言えなかった、「違う」ことが違うと言えなかった。現在でも日本人が持っている問題点。
暴力と秩序
米国軍はキリスト教を絶対神として規律が保たれたが、日本軍はこれができなかった。筋の通った思想的徹底がなく文化でも学歴でも社会的階層でも規律は保たれなかった。結局、暴力とその暴力に対する恐怖でしか秩序が作れなかった。
自己の絶対化と反日感情
日本軍は自己を絶対化し、あるいは絶対化したものに自己を同定し、それに従わないものを討伐の対象としたため、それが反日感情となった。個人レベルではそうでないのに、全体の指導原理ではそうなってしまうところがある。
厭戦と対立
昭和15年戦争という言葉がある。昭和6年の満州事変から昭和20年の終戦までのことである。厳密にはその間には戦争のない時期もあるが、戦争が続いたため、太平洋戦争が始まった時点から日本国民全体に厭戦気分があった。同時に陸軍と海軍は非常に仲が悪く連携することがなかった。日本人は基本的に「タテ社会」に順応し、横断的な協調は不得手である。