11.高機能機


97年正月。K社長がお客様の社長に年始の挨拶に行かれた。その折り、「携帯電話でメールサービスを始めたい。10円で1000文字を遅れるようにしたいが、D社さん開発に協力してくれないか。」と相談があった。もちろん、K社長は二つ返事でOK。開発がはじまった。
 
このころの私は共通技術部門。どうすれば開発できるか。社内関連部門を探っている間に、32ビットマイコンの開発部門がJAVAの動くサンプル機を動かしているとの情報を得た。早速、飛んでいって、それをみた。4インチくらいのLCDでほんとうにJAVAが動いていた。これとPDCを通信モデムでひっつければ要求の製品は開発できる。簡単に考えた。ハードウェアのイメージはできた。
 
実際の開発の担当は国内携帯電話部門。人員規模が少なく、ディジタル機と並行して開発を進めざるを得ない。僅か3名の技術者が片手間で開発を進めた。ソフトウェアは当時の大船の研究所に依頼して、米国のG社に発注した。研究所が外部仕様を作成してG社が詳細設計をする。国内携帯電話部隊にとってははじめての海外ベンチャーとの協業であった。
 
この機種に名前がついた。高機能機。響きのいい名前である。ところが、これが実に難問。極めて大きな開発となった。PDCとPDAの複合機。ショートメールができる。ニフティメールができる。10円メールができる。ToDoリスト。世界時計。アドレスブック。いわゆるPDAのPIM機能が満載されている。とうとう国内向け携帯電話開発そのものに影響し始めた。万事休止。これでは全部倒れてしまう。
 
仕方がないので、私がこれを引き取ることにした。中身を開いてみるととんでもない規模の開発内容である。当然ハードウェアは2倍以上。それよりもなによりもソフトウェアは従来の10倍以上の内容。テストケースは40,000ケース。全部人手で試験すると50人集めても1週間かかる。尋常では絶対に完成しない。
 
すぐに特別室を用意することにする。PHSのときと同じである。というか、なにせPHSのときの更に10倍規模の開発である。50人の評価技術者と開発技術者の3分の1にあたる20名の総勢70名が集結してデバッグできる専用の200m2程の評価室を用意した。米国G社に出かけて窮状を訴えた。G社のエンジニアを米国から呼んで常駐してもらった。もう死にものぐるいである。
 
開発期間を短縮するためには、できるだけ狭いところに集結させるのが一番である。情報伝達の時間が減る。情報伝達ミスが減って無駄な作業が減る。簡単に言えば、ニュートンの法則である。伝える側と伝えられる側の想いの積が一定でも、その伝達力は距離の二乗に反比例する。距離が小さければ小さいほどその距離の二乗に比例して大きくなる。これは組織形成の鉄則である。
 
この機種も約束の納期間近になった。なんとか納入できるかと思うほど追い上げたところで、客先から50項目を超える改良指示がでた。ここまでは開発ストーリーに織り込めていない。あまりにも多い操作系のソフトウェアだけにさすがのお客様もどのように操作できるか全部を読み切っていない。ちゃんと理解して貰えなかったこちらが悪い。こんなの常識だろうとおっしゃる。それはコンピュータでの話。消費電力をぎりぎりに絞り込んだ携帯電話のCPU速度では実現できない。それやこれやを説明していくつか負けても貰ったが、それでも30項目以上の改良アイテムが残った。ほんとうに投げ出したくなるのをぐっとこらえて作業する。G社は従来の仕様ではなく、新規の追加だからお金が要るという。もう踏んだり蹴ったりの世界。結局、5ヶ月遅れで納入できた。数10億円の開発費を使って、5億円にもならない売上げ。社長と社長との挨拶はそんなに簡単に設定してはいけない。