神戸地震とライフライン


19年経った。まだ数年前のように感じる。それだけ印象が深い。未明。まだ暗かった。縦に揺れた。突き上がった。飛行機が落ちたのかと思った。我が家は建替えたばかりで被害が少なかった。隣は屋根が折れた。前の家はベランダが落ちた。家具の向きひとつで被害の大きさが違う。玄関ドアをあける、家から早く出る、圧死の多さが新しい教訓になった。津波の認識は全くない。

 

M電機は阪神間に多くの工場がある。死亡者はなかった。1週間も安否確認できない人がいた。災害時こそのケータイだと思うのだがすぐに規制が掛かった。公衆電話がましだった。我が家はライフラインが止まらなかったが、地域によっては水道が止まったり、電気、ガス、いろいろ不便な思いをされた人も多かった。会社は給水を解放した。リュックいっぱいに背負って帰宅する人もいた。

 

ボランティアが立ち上がった。ゴルフ場が風呂を開放した。復興には10年掛かった。

 

約6,500人が亡くなった。子供たちもいる。毎年セレモニーが続く。心の痛みは消えない。濱村