濱村ヨットスクール
戸塚ヨットスクールが有名になった。登校拒否生徒の再生。スパルタをやりすぎて生徒が死んだ。
1981年。通信部門でLS設計Iチームを立ち上げた。事業部門から請負う「社内企業体」の仕組みにした。チョンボすると自部門費で再設計しなければいけない。全員必死に勉強した。ファブレスだから社外も使う。再作率が最低になって半導体部門から一目置かれるようになった。きっと濱村がスパルタをやっているだろうと渾名がついた。
製造部門で行われている小集団活動を設計部門に持ち込んだ。どうやれば間違いのない設計ができるか。前例がないので徹底的に工夫できた。結論は設計しないことだった。設計者1名に対しテスト要員3~4名ぐらいアサインする。仕様の段階で徹底的に議論し理解を深める。設計仕様書とテスト仕様書を作る。日本語の段階でデバッグする。全部つじつまがあったらVHDLやC言語で記述する。急いで作業を進めてしまうと修正が?入って仕事が2倍にも3倍にもなる。間違いが起こる。
設計チームは20。年間50品種。再作は1~2品種。大半がファーストシリコンで正常動作した。チームリーダは若手でもできる人に。できないベテランには共通費用管理などの責任を持たせた。濱村