月見
昭和30年代。前の東京オリンピックより前の私の子供の頃。テレビはまだない。
十五夜の晩は、庭に縁台をしつらえてもらって、すすきを飾り、きな粉をまぶした月見だんごをお供えして、月見した。同じように、月後れの七夕は、竹笹に短冊や飾り付けをして、庭に飾ってお祝いをした。短冊に書く墨は里芋の葉っぱや睡蓮の葉の水滴を硯に移して擦った。経済的には恵まれていなかったけれど、親たちは、そうやって、子供たちに自然を愛でる大切さを教えた。
翻って、昭和40年代からの高度経済成長時代の申し子の我々団塊の世代。仕事の忙しさにかまけて何にもしていない。完全に伝承していない。経済成長で得たものはたくさんあつたが、失ったものも多い。
ケータイ時代に一緒に仕事をしたS君は、海外留学の経験を活かして、海外会社の仕事をしつつ、軽井沢でペンションを経営することで、子供たちとの時間を大事にしている。
暦は農作業にまつわる自然現象の記述が多い。経済成長が満たされ少子化の進む今日、二十四節気全部とは言わないが、団塊の世代が忘れてきたこと、してこなかったことを、今のお父さん、お母さんは、是非昔を勉強して、子供たちに自然を愛でる大切さを教えてほしい。反省しきりである。濱村