佐村河内問題


音楽も産業化したと開き直ったらどうだっただろうか。芸術というより金儲けのための音楽になっている。楽曲は演奏されて完成する。作曲する人と演奏する人。最初から分業されている。作曲する人もアーキテクチャとおたまじゃくしに落とし込む人に分担したと。

 

芸術と言われる分野の細分化は必然の流れ。宮崎駿の映画は多くのスタッフでつくられているが宮崎駿の作品だといって誰も反論しない。執筆も作曲も同様である。著作権も代表して受け取って分ければよい。産業界では普通のこと。佐村河内守=さむら・かわちのかみ:名前からしてギャグっぽい。「有名になりたかったでしょ」というくだらない質問があった。

 

問題は人の気持ちを弄んだこと。これはやってはならない。純粋な少女、被災者、被爆者。聞こえる聞こえないはたいした問題ではない。彼らを題材にして彼らを慰めるためにチームで作ると堂々と予め宣言すればよかった。

 

所詮金儲け。最大効率を追求する。なにがまずかったかを追求する側も考える。濱村