ロマン


中学校のあるところを「神原」地区という。近くの神社には古墳があり三角縁神獣鏡が出土した。古来、神様が舞うところという意味がある。近くを流れる赤川の改修で神社の元の位置は川の中心付近だという。

 

下名は「立原」という集落で生まれた。菩提寺が1585年に出来ている。江戸時代の直前。尼子勝久の家来の山中鹿之助の伯父にあたる立原源兵衛の土饅頭がある。子孫が松江市に在住されている。真東で日出ところという意味。性名に地名を使う習慣もあった。

 

まとめて39個もの銅鐸が見つかった遺跡は北側の「岩倉」という地名にある。土の中とは言えいかにも倉庫を思わせる。銅剣356本、銅矛16本、銅鐸6個が出土した荒神谷も僅か3,4kmしか離れていない。古代、出雲や松江が沼地で住めなかったことを考えると神原地区あたりが中心地だったかもしれない。

 

古代では1里=1.6km。「神原」から各地まで半径約4里。想像するロマンと神話の時代から脈々とつながる縁・生命を感じる。濱村