濵ちゃんの足跡

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3.大成功のアナログ2号機

これらを大反省として、まったく逆のことを行ったのが、大ブレークしたアナログ2号機である。

まず、当時の責任者が徹底的に、少数精鋭主義をとった。S/W開発も関連会社から引き上げて、それまで送信機や受信機の無線部の設計をしていた技術者を職種転換させて担当させた。すべてが一人の課長の傘下に入った。もちろん研究所の活用も最小限に絞った。情報統制も徹底的に敷いた。極論すると、完全なる秘密的少数精鋭開発集団ができあがった。というよりは、前回の大赤字で開発費がないのだから仕方がない。ところが、これが成功した。マーケット分析も根本からやり直した。小型モックを作り、エンドユーザはどのサイズまでならOKとするか徹底的に研究した。その結果の目標は現状の小型携帯電話とまったくかわらないサイズであった。あまりにも小型で、耳口寸法が足らない。窮余の策としてフリップがついた。これがD社携帯電話の原型となった。しかしながら残念ながら技術的にそこまで追い込めない。どうしようもないから後ろに膨らませた。ところがこれで片手の中にすっぽり入り込む、いわゆる手のひらに座りのいいデザインになったから不思議。色は当然ながら黒。ホワイトは最初から眼中になかった。

いよいよ開発が終わりに近づいて、カタログが出たところで勝負は歴然。圧倒的に小型に見える。これは売れるかも。前回の失敗に懲りて、ほんとうに売れるかどうか自信がない。トップも膾に懲りて材料手配を全部所長認可としていた。いざ、販売が始まると、今度は材料がまったくない。生産ラインもない。月産1万台の生産ラインを月産3万台にするために大議論が起こった。今の生産台数からすれば少ない台数だが3倍という比率は大きい。ほんとうに売れるかどうか。ここでも膾に懲りている。結局、26万台が売れた。当時1台7~8万円位していたから、これで200億円を超える売り上げとなった。大フィーバー、大ブレークである。失敗は成功のもと。この機種の開発にあたった課長および担当者の集中力は何かにとりつかれるのではないかと思えるほどの凄さがあった。これで、携帯電話事業が繋がった。

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